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冗長なだけのブログ。
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真
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女性
趣味:
読書だったり飲酒だったり。
自己紹介:
2013年今日は。
札幌あたりで養蜂やったり酒飲んだり本読んだりアニメ見たりしています。 SFが好きです。 今年はもうちょっと、言葉を大事にしようと思います。
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Title : うつるよ。
あー、今日も晴天。
空気が乾燥しています。 注意が必要です。 昨日のエントリで一緒に書こうと思っていたんですけど、一作品ですげー長くなっちゃって、力つきたので仕切り直し。 お休み中に読んだ本。 京極夏彦『塗仏の宴』支度1〜4始末1〜4 また京極かよっと云う突っ込みはなしの方向で。 読み始めたら止まらないんですよ。 うーんと。感想。 …あー、この話、登場人物多すぎ。 そしていつもの様に色々な主観へ行ったり来たりするので余計惑わされました。 単に私がアホなだけですけど。 思ったこと。 作中、「よく『個人』といったものを主張するけど、『個』とは何なのか。周囲の有り様によって変化するものなんじゃないか? だとすると、『個』と云うものは本当はないのじゃないか?」と云うようなことがありまして(物凄い端折ってあるので、意味が伝わりにくいかとは思いますが、…そこはそれ。let's read 京極堂と云う事で)更に、「周りによって変わるものならば、『個』とは鏡の様なもので、映り込む周りの景色が変われば、鏡に映る景色も必然変化するし、『鏡を見る』と人は云うけれど、映っている景色を見ているのであって『鏡』自体は見ていない。…」と云う様な事がありました(また例によって物凄く端折ってます)。 こういった部分を読んで思ったのは、 個は確かに周り(自分以外の存在)があって初めて存在するので、確かに鏡の様なものだろうけど、厳密には鏡は一枚一枚どこか違っているので、移った景色も畢竟どこかしら違ってくるものなんじゃないかな、と。 それで、その違いが「個」と呼べるものなかもしれないし、そうでもないかもしれない、のか?、、、とかぼんやりそんなことを。 人と人の違いなんて、割と些細なことだったり行き違いがあったりして、それが面白かったり悲劇だったりするってことなのか、とか。 …うーん。多分、私はなんか読み違いをしてそうだな…(笑) 声高に個性尊重とか重視とか思いませんけど、みんなちょっとずつ違うらしい、ってことだけ知ってたらいいのじゃないかしら、とか。 とか、多すぎですけど。 まあ後そもそも、鏡がないと周りも映らないので。 うん、まずそれが大事ですね、きっと。 大学のときレポートのお題で「何故人は絵(その他創作と云われる全てのこと)を描くのか」と云うのがあったことを、思い出します。 これは前回の鉄鼠にも少し絡んでくるんですけど。 何か私はその当時も人は何かしら自分が得た外からの刺激を、どうにか形にして再び自分の外に出そうとし、その行程や、結果生み出されたものや、行為が芸術だったり創作だったりするのではなかろーか、と思っていて、そう云った旨のことを延々用紙に二十枚近く書き綴ったという。 ここまでが鉄鼠に絡んでいて、で、ここからは塗仏絡みなんですが。 その外から得る刺激を自分の中に入れる際のフィルターも、出力する場合に通すフィルターも人それぞれ違うので、そこに所謂差異としての「個性」が生じるのじゃなかろーか、と云った様な事も延々書き綴ったように思います。 …一枚で済むがな、たったこれだけのこと。 あー、今回はもそっとシンプルに纏めようと思ってたのに、何かまたズルズルと…。 PR |
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